新1年生、タケシの場合

2012/02/16

離婚の原因

こころのコンシェルジュ ある日の午後、筆者のところに、
3人の子どものお母さんから
「5歳の男の子が、時々情緒不安定になるので困っている」
と相談がありました。
そのお母さんは8ヶ月ほど前に夫と離婚し、
今は中学2年の長姉、小学5年の次姉と、
幼稚園に通う5歳のタケシ(仮名)の4人で暮らしていました。離婚の原因は夫の浮気でした。

離婚する前、お母さんは、中2の長姉には、
父親のしたことやお母さん自身の気持ちなどありのままの状況を説明しました。
長姉は、父親と浮気相手に強い怒りと嫌悪を抱きました。
小5の次姉には、お母さんからは直接話さないものの、長姉からおおまかな話が伝えられました。
次姉は、お母さんの前では明るく元気に振舞い、長姉だけに寂しい気持ちを打ち明けていました。
5歳のタケシには、小さい子どもの心を傷つけないためにと、
「お父さんは別のところで暮らすことになった」
ということだけ伝えられていました。

ボクも捨てられる!!

こころのコンシェルジュ ところが、離婚から半年以上たった今でも、
タケシはふとした時に
「お父さんはいつ帰ってくるのかなあ」
とつぶやいたり、
「この前、お父さんと一緒にサッカーをして遊んだよ」
とあたかも実際に経験したような口ぶりで
話したりすることがあります。
それを、お母さんや姉たちが否定すると、
急に「僕はこの家にいらない子なんだ! 僕も捨てられる!」
などと泣き叫び、パニックに陥ります。

筆者は、この話を聞いて、虐待を受けた子どもが
施設などに保護されたときに示す現象を思い出しました。
それは、保護をする理由や経緯を子どもに対して
きちんと説明されていないと、子どもが自分自身を責めたり、
知っている事実に合うような独自のお話を作り上げたりして、
心理的に不安定な状態になることがあるということです。
こんな場合には、たとえ小さな子どもであったとしても、
その子が理解できることばとやり方で、
自分のまわりで起こっていることを説明する必要があるのです。

筆者は、そのことをお母さんに伝えました。
お母さんは、
「それであの子は、自分が悪い子だから、
いつか家を追い出されると言ったり、
自分のせいでお父さんが帰ってこないと言ったりしていたんですね」と
事情を理解し、涙を流されました。

家族の絵本

そこでお母さんに対し、タケシが自分のまわりで起きている状況を正しく理解できるように、
そして心配になったときにはいつでも手にとって確認できるために、
家族の絵本を作ることを提案しました。

お母さんはすぐに了解しました。
さっそく、タケシにもわかるようなお話を、お母さんと筆者で一緒に考えました。
絵は、タケシや姉たちに協力してもらって作ることにしました。
お話は、お母さんが子どもたちに伝えたいことです。

次のような5つの場面からなるお話ができあがりました。

① 5人の家族で暮らしていました。
② お父さんは、お母さんよりも好きな人ができたので、その人と暮らすことにしました。
③ お母さんは、どんなことがあっても、ゆかり、まゆみ、タケシの味方です。
  子どもたちは、協力してお母さんを助けます。
④ お母さんと、ゆかり、まゆみ、タケシの家族は、みんながおとなになるまで、
  ずっと一緒に暮らします。
⑤ 毎日、笑顔で暮らせるようになることが、みんなの願いです。

タケシはうまく現実を受け止めることができるのでしょうか?

絵本作り

こころのコンシェルジュ いよいよ絵本作りの当日。
筆者が家庭訪問をすると、
お母さんからお願いしてもらっていたこともあり、
4人全員がリビングに集まっていました。

あらためて、筆者から、お母さんから相談を受け、
絵本を作ることにした経緯を
子どもたちに話し、協力を求めました。
姉たちは、タケシの不安定な様子を見て
心配していたとのことで、快く応じてくれました。
絵本作りの作業は、長姉が紙にお話を書き、
次姉が絵を描き、お母さんとタケシがそれに色を塗って進めました。

やり始めると、みんな作業に集中し、
1時間半ほどで5ページの絵本が完成しました。

みんなのおはなし

こころのコンシェルジュ
できあがった絵本を、
長姉が読み聞かせてくれました。
タケシはお母さんの膝の上で、
ニコニコしてお話を聞きました。
それから、みんなでお話のタイトルを考えました。
その結果、長姉が提案した
「みんなのおはなし」に全員一致で決まりました。

筆者は、「この絵本は、家族みんなのものです。
タケシくんは、お母さんや、お姉ちゃんに
読んでもらってもいいし、ひとりで読んでもいいよ。
もちろん、お姉ちゃんたちも読みたくなったときには、
ひとりでも、家族の誰かと
一緒に読んでもいいです」と伝えました。
絵本は、家の中の、いつでも、
家族の誰でもが手に取れる場所に置かれました。

両親の離婚という重大な事実を受け止め、
状況の変化に対応することは、タケシだけでなく、
おそらく姉たちにとっても、
たいへん大きな課題だったことでしょう。
はじめは「小さいタケシのために」と
協力してくれていたつもりの姉たちも、
作業を進めるうちに、絵本の物語が
「(家族)みんなのおはなし」であると
思えるようになり、あらためて、
これからの家族の協力体制が整ったようでした。

魔法の絵本

こころのコンシェルジュ 絵本作りから数ヶ月後のことです。
お母さんから、近況を知らせる電話があり、
「あの本は、魔法の絵本ですね!」と話されました。
タケシは、お母さんや姉たちにせがんで
たびたび絵本を読んでもらったそうです。
そして絵本作り以後、
タケシは一度も情緒不安定な状態に
なっていないとのことでした。

タケシは、この春、
元気いっぱいの小学1年生になったそうです。

著者:臨床心理士 衣斐哲臣