中学2年、あさみの場合

2013/04/18

不登校、家出、万引き・・・

こころのコンシェルジュ 中学の先生の紹介で、
あさみの母親が相談室にやってきました。
あさみは中学2年生で、
ここ1年ほど不登校が続いていました。
家では、大学受験を控えた兄との折り合いが悪く、
兄から叩かれて家を飛び出し、数日間帰らず、
その間に本を万引きしたことがありました。

両親は、あさみが5歳のときに離婚。
現在は、母と兄とあさみの3人暮らしです。
兄は繊細な性格で、1年間の大学浪人中です。
受験のプレッシャーからか、
兄は時々イライラしてあさみに暴力をふるいました。
母は、ため息をつき
「あさみを施設に入れるしかないのでしょうか」
とつぶやきました。

筆者からは、兄の暴力いかんによっては、
あさみを施設に避難させる必要もあるが、
まずはあさみと面接させてもらいたいと伝えました。

黒髪のショートボブ

こころのコンシェルジュ 次の面接時、あさみが母とともに来所しました。
あさみはブラウスのボタンを一番上まで止め、
長めのスカートをはき、真っ黒の髪をショートボブにしていました。
とっても真面目な印象でした。うつむいて身体を硬くして座り、
筆者からの問いかけには
黙って頷いたり首を振ったりして答えるだけでした。
母とも、一言も話しませんでした。
そこで、母には部屋の外で待ってもらい、
あさみと2人だけで面接をしました。

<お兄ちゃんに叩かれることもあるんだってね。
それに、学校へ行ってないとか、家出とか、万引きとか、
いろんな心配ごとがあるよね。
でも、あなたが安全に暮らせることがいちばん大切と思ってるから、
もう少しお話を聞かせてね>

その言葉にようやくあさみは、顔を上げこくりと頷きました。

父親代わりの兄

兄のことを聞いていくと、
あさみはポツポツと語りました。
朝起こしてもあさみがなかなか起きなかったり、
お風呂に入るよう声をかけても
すぐに行動しなかったりしたときに、
兄は暴力をふるうようでした。
そんなとき、母は別の部屋にいるか、
「やめときなさいよ」と軽く注意するのみです。
そればかりか、
「悪いのはすぐに行動しないあさみだから」と
母が兄の暴力を容認しているように、
あさみには感じられていました。
でも、あさみは母にも兄にも何も言いませんでした。

あさみの話を聞いているうちに、
兄があさみに暴力を振るうのは、
単に受験のプレッシャーや
ストレスだけではないように思えました。
むしろ、あさみの不登校を心配し再登校を願う母の思いを、
兄が無意識に引き受け、
まるで父親の代わりをしているような姿が浮かびました。
それは、兄としての責任感が暴走しているようでもありました。

役割を整理する

あさみと話した後、
再度、母に部屋に入ってもらいました。
<お兄さんって、お母さん思いの優しい子みたいですね>
と、切り出しました。
「そうなんです。私は何も言っていないのに、
"自分が家を守る"と思っているようなところがあって...」
と、母は半ばうれしそうに言いました。
<なるほど。ただし、そのお兄さんの優しさと責任感が、
今はちょっと暴走しているのかもしれませんね。
どうぞ、お母さんからお兄さんに、
その思いを十分理解し感謝していることを伝えてあげてください。
そして、今は家を守る役割はお休みして、
大切な受験勉強に集中するようにお願いしていただきたいのです>と伝えました。
さらに、あさみの監護は母の役割であること、
不登校などの心配ごとはここで相談していくので安心してほしいことなどを、
母に話すと同時に、兄にも伝えてもらうようにしました。

家出中のこと

1週間後、あさみは母と来所しました。
母の提案を素直に受け入れたのか、
兄からあさみへの暴力はなくなり、
母にも余裕が感じられました。

あさみとは、次のようなやりとりをしました。
<ところで、あさみちゃんが家出していたときって、
どんなふうに過ごしてたの?>
「駅の近くの、よく行く公園や本屋にひとりでいた。
本を読んだり、歩いてる人をただ見たり...」と言葉少なく話しました。
そして、万引きは、その時に立ち読みした本の続きが
どうしても読みたくて盗ってしまった、とのことでした。

筆者はその本の話に惹かれ、仕事帰りに本屋に立ち寄りました。
無口でおとなしいあさみが万引きするほど夢中になったという本を探し、
購入しました。
それは、平凡な中学生の主人公が旅に出て、さまざまな仲間に出会い、
強く成長していくという内容のSF小説でした。
とても面白くて、筆者も夢中になりました。
なかでも、「"トラパー"という目に見えない粒子の波に乗る、空中サーフィン」の話が、
とても魅力的でした。

3回目の面接で、一人来所したあさみにそのことを伝えました。
あさみは、初めて笑顔になり、"トラパー"の話で盛り上がりました。

"トラパー"に乗る

こころのコンシェルジュ その後、あさみの家に変化が起きました。
自宅浪人中だった兄が、予備校に行き始めました。
その予備校の授業料を得るために、
それまで実家からの援助を受けていた母が、
定期的なパート仕事に就きました。
<お兄さんとお母さんが動き出したね。
まるで、トラパーの波に乗ったみたいだね>と、
あさみに話しました。
あさみは「うん」と微笑みました。
<トラパーの波って、目には見えないけどちゃんと感じられて、
大きいのも小さいのもあって、一度うまくつかめなくても、
また必ず、次の波がくるんだよね>と言うと、
あさみはもう一度微笑み、「うん」としっかり頷きました。

その後も、あさみとの面接を続けました。
数週間後、あさみは、学校からもらったプリントを使い、
自宅で少しずつ勉強するようになりました。
母も兄も、適度な距離であさみを見守りました。

そして、さらに数か月後、あさみは別室登校を始めました。
どうやら、あさみもトラパーの波に乗ったようです。
トラパーの波は、目には見えませんが、それぞれの子に合う波が必ずあります。
家族も焦らず無理せず、その波が来たときにうまく乗れるように、
応援し続けることが大切である、と教えてくれたケースです。

監修:臨床心理士 衣斐哲臣