「行けてる?」、まさる
「あれ~どうしたの?こんな時間に!あ、試験だったの?」「制服似合ってるよ。なんか急に大人っぽくなったなぁ」
口ぐちに出迎えるのは適応指導教室の先生たちです。
先生たちの声かけにぶっきらぼうな口調で答えるまさるですが、
顔はとても穏やかです。
「じゃ、来週は絶対、お父さんからお金もらっておいでね」
「うん」
「やっていく?」
「うん」
他の生徒も加わって、教室恒例の卓球大会が始まりました。
それを見ながら、筆者は先生に尋ねました。
「お金ってなんですか?」
「あの子、毎日、電車の切符を買って学校行ってるんです。
定期券の買い方がわからないし、
お父さんは電車賃と昼食代だけ毎日置いていくらしい。
だから、私が一緒に行って定期券の買い方を教えてあげようかと。
お父さんに、定期券代をもらっておいでねって、念押ししてたんです」
「なるほど。それで...高校は?」
「ちゃんと1人で朝起きて行けてるんです。...あの子がねぇ」
感慨深げにまさるを見つめる先生と一緒に、筆者も当時を思い出していました。
父子の生活
まさるは、中学2年の初めに友だちとトラブルがあり学校に行けなくなりました。
トラブルはすぐに解消したのですが、「だるくて朝起きれない」と言い
ほとんど外出もせず1学期を過ごしました。
学校の勧めで2学期から適応指導教室に来ることになりました。
初めて父と一緒に来たまさるは、色白で背が低く丸々とした体つきでした。
真っ黒に日焼けした背の高い細身の父とは対照的でした。
父子とも無口ですが、帰り際に父は「よろしくお願いします」と言い、
丁寧に頭を下げました。
その後、本人から聞いた話です。
母はまさるが小学校入学の頃に、生後すぐの弟を連れて家を出ていきました。
その後、まさるは父と2人暮らしです。
父は朝早くから工事現場に働きに出ます。
遠くの現場だと何日も帰ってこないこともあります。
雨の日と日曜日が仕事休みですが、
父はほとんど1日中パンコに行き、
まさるは家でテレビを見るかゲームをして過ごします。
食生活は不規則で、朝食は抜き、昼は小学校では給食でしたが、
中学では父が渡す昼食代を使わず何も食べず、
夕食は父が買ってきた惣菜か、焼き肉を一緒に食べに行くか...、
父のいない日はカップ麺が多かったようです。
先生たちの思い
そんな話を聞くにつれ、先生たちは父に憤りを感じました。「お父さん、もうちょっとまさるに関われないのかな。まさるが可哀想だ」
「お金置いておくだけじゃなく弁当ぐらい用意できないのかな」
「仕事に行く時間をもう少し遅くするとか、日帰りの現場にするとか...」
先生たちは、まさるが朝来ない日にはモーニングコールを掛け、
それでも来られないと家まで迎えに行き、昼食にみんなの弁当を
分けたり買ってきたり...、と一生懸命関われば関わるほど、
父に対しての憤りが強くなっていきました。
父を変える?
ある時、先生方から、まさるの父に変わってもらうにはどうしたらいいか?
と筆者に相談がありました。
筆者は、日頃の先生がたの奮闘ぶりをねぎらったうえで、
こんな話をしました。
「お父さんもとってもつらいんじゃないかと思うんです。
どんな事情があったかわかりませんが、奥さんがいなくなり、
男手ひとつで子どもを育てていかなきゃいけないのは
本当に大変ですよね。食事はそんな調子かもしれませんが、
子どもを飢えさせることはしないように何とかやっておられる。
他の家事もまさるくんがやっているわけではない。
つらい気持ちをじっと抱えて、でもどうしようもなくて、
耐えておられるんじゃないかと思うんです。
まさるくんもつらいと思うけど、
彼はこれから自分のために自分の足で立って生きていかなければならない。
つらさに耐えているお父さんを変えることよりも、
先生がたのお力を借りて、まさるくんが自分で生きていくために
必要な力を身につけさせてあげられたら...、そう思うんです」
調理実習
先生方は、深くうなずいてそれぞれに何かを考えているようでした。それ以降、教室では毎日のように調理実習が行われるようになりました。
ご飯の炊き方やおにぎりの作り方、サンドウィッチ、卵焼き...。
自分の食べたい物を自分の手で作る、それを他の職員に差し入れして感謝される。
そんな関わりを通じて、まさるの顔が和らいできました。
同時に、他の活動や地域の散策などにも参加しました。
3年生になる頃には、身体のだるさの訴えも大幅な遅刻も減ってきました。
最初、「勉強嫌いだから高校は行かない。仕方ないから働く」と言っていたのが
「高校受けようかな」と言い出しました。すると、学習時間も増え、
中学校の先生の働きかけを受け入れて定期試験を受けに行くなど、
徐々に中学校とも関わりをもてるようになりました。
大切なのは自立支援
筆者はといえば、ほとんど何もしていません。調理実習の昼食を美味しくいただくことと、
たまに相談を受けると先生方をねぎらってちょっとしたコメントをしていた程度です。
たとえば、
「好きな教科は頑張るのに、嫌いな教科は5分しかもたないんですよ!」という先生に、
「えー、嫌いなのに5分も頑張っているんですか!むっちゃすごい!」とかです。
最終的に、まさるは適応指導教室から週何日か中学校へ登校するようになり、
卒業式にも参加しました。高校受験は、父が仕事を休んで同行しました。
そして、無事合格。適応指導教室も卒業していきました。
定期券も無事購入しました。
その後も、まさるは教室に時々顔を出して近況を話してくれています。
ここがまさに拠り所となっているようです。先生方も賑やかに迎えています。
背が伸び、日に焼け、身体が引き締まり、見違えるような青年になりました。
父は相変わらずの生活ですが、今は誰も父を責めたりしません。
まさるも自分自身の道を着実に歩み始めています。
監修:臨床心理士 衣斐哲臣